HOME > 嘉納治五郎師範の教え > 師範の言葉 > 擇道 竭力(たくどう けつりょく)2/2

擇道 竭力(たくどう けつりょく)

 立志と択道、この二者によって、吾人のなすべき事が定ったならば、次には竭力(けつりょく)してこれを成就することを努めねばならぬ。百の空しい願望百の空しい計画は、一の実行に及ばない。成功とは畢竟(ひっきょう)一の目的に向って力を用いた結果をいうのであって、力を用いれば用いるほど成功もまた大になってくるのである。たといその目的と手段とにおいて、善尽し美尽せるものがあっても、実行せられなければ畢竟美しい夢のようなものである。戦争に必要なのは智略であるけれども、勝敗は智略のみによって決しない。よく謀るものも力行を須(ま)って勝つので、謀の拙なるものも時に力行によって敗れざるを得ることがある、勝敗は実行する力いかんによって分れることが多いのである。座上では着実な目的着実な手段と考えておっても、いよいよ実行となれば種々の艱難種々の障害が生ずるものであって、堅忍不抜の意志をもって努力奮励するを要することの多いのが、人生の真相である。

擇道 竭力03

 およそ事の成敗は因果の法則によって行わるるものであって、大なる果実は忽然(こつぜん)としては生ぜぬ、相当の結果を得るには必ず相当の力を要するものである。価値のある事であればあるほど、これがために長日月の努力を要するものと覚悟せねばならぬ。大事は一朝一夕の感激をもってよく成し得るものでない。青年は鋭気に満ちているけれども、とかくに一時に功を収めようとあせりやすいが、躁急はそもそも功を収むるゆえんでない。あせって功を得ないと、倦厭(けんえん)する、倦厭すれば沮喪(そそう)する、沮喪すればしまいに自棄するようになりやすい。進むに鋭きものは、退くこともまた速やかで、かくのごときものは当初の意気込の盛んなのに似ず、なんらの成功を見ないで終ってしまうものが少なくはないのである。ことに人生に最も必要なのは、建設の事業であって破壊の作用でない。時に破壊の要せらるるのは、一層善良なるものを建設せんがためである。その建設の事業になると、必ず長日月を要するものである。吾人の身体を傷害することは即時に容易に行われるけれども、これを健全に発育せしむることは決して容易の事でない。建設の事業は、すべてこれと同様であるから、いやしくも善美の事業を成そうとするには、十分に覚悟して躁急を避け着実を取りじりじりと歩武を進め、仮にも一事を始めたならば、終生の全力を尽してこれを成就するという決心をもってせねばならぬ。

擇道 竭力04

嘉納治五郎、青年修養訓、同文館、1910