柔道の教育的価値
有用な知識を獲得することに加えて、私たちの知力、例えば、記憶力や注意力、観察力、判断力、推理力、想像力などの伸展を図らなければなりません。しかしこれは気まぐれな方法でやるのではなく、心理的な手法に沿って行われるべきであり、その様にするとそれらの互いの力関係で、上手く調和がとれるでしょう。私たちの知識と知力を、理性的に増進する目的を達成し得るのは、最善活用の原理?それは柔道ということですが?に誠実に従うことによってのみ行えるのです。
私はこれから、柔道の道徳面について話します。道場で門人に与える道徳や修養法の話、例えば礼儀や勇気、忍耐、他人に対する親切心や敬意、また公平性等についてです。世界中の競技スポーツで非常に強調されているフェアプレー等について話すことは、私の意とするところではありません。柔道の稽古をすることは、日本では特別な道徳的な意味を有しています。その理由は、他の武術と同じように、技の教えを通じて我々に伝えられて来た精神であるところの、高潔な礼法を身に付けていた我がサムライによって稽古されていたからです。この関係から見て、皆様に最善活用の原理が如何に道徳指導の推進に役立つかについて、説明したいのです。人は時には、些細なことで非常に興奮したり怒り易くなります。しかし「興奮すること」は、エネルギーの不必要な消耗であり、誰の利益にもなりません。それどころか、しばしば自分自身や他人を傷つけるのだと考えが及んだ時、柔道の修行者はこの様な行為は避けなければならぬと悟ることでしょう。
人はしばしば失望から気が沈んだり、憂鬱になったり、働く意欲を失くします。この様な人に柔道は、そんな中でなし得る最善の方策は何かを見つけ出す助け船となるでしょう。逆説だと思われるかも知れませんが、この様な人は私の見るところでは、成功の絶頂にいる人と同じ立場にいるのです。どちらの場合でも、辿るべき道は1つしかありません。よくよく考えて、自分がその時点で取れる最善の進路であると見なした方向が、即ちその道なのです。かくして柔道の教えは、人を失望と無気力の深みから将来に輝ける希望がある生気ある活動的な状態に導けるのだといえます。
同じことは不満を抱いている人にも当てはまります。不満家はしばしばすねた状態になったり、自分の失敗や仕事上の不注意を他人のせいにします。柔道の教えはこの様な人に、そんな行為は最善活用の原理に反すると判らせることが可能です。この原理を誠実に実践してゆけば、自分たちはもっと気分が引き立つようになれるのだと自覚するでしょう。
かくして柔道の教えは、道徳指導の数ある道の1つですが、その推進に役立つのです。
最後に、柔道の感性の面に関し数語付け加えたいと思います。私たちは運動により神経と筋肉に与えられる快感を良く知っています。私たちはまた、筋肉を使った技の上達に、また試合で相手を破った時の勝利に喜びを感じます。さらに加えて、礼に叶った立ち居振る舞いや優雅な仕草等から滲み出て来る風格の悦びがあります。周りの人々にもそれは感じられます。柔道とは異なる考えによる他(芸道など)の色々な象徴的仕草を注意深く見ている時快さを感じますが、それと同じ様に、柔道の感性もしくは美学と呼べるような面が生まれるのです。
この原理を本当に理解するためには、攻防の技の稽古を通じてだけで達成しようとする必要はありません。しかし、私はこの方法による稽古によって、(人には)理解をしてもらえると確信するようになっておりましたので、原理を理解する通常のやり方として、試合とこの稽古法で心と身体の発達のトレーニングを実施してきました。
最善活用の原理を、―攻防の科学で―社会生活を鼓舞するために、もしくは実際に応用する時、正に身心和合を求める時、先ず第一に行う人に、秩序と調和が求められます。その上で相互扶助と譲歩、相互福利と利益を求める実践活動を行うことによってのみ、達成は可能なのです。
柔道の最終目的は、この普遍的原理を尊重する精神を教え込むことです。何故かと言うと、人が最善活用の方法を実践することで、個人的また集団的に最高の境地に到達出来、更には攻防の技も学ぶことが出来るからです。
もし私たちが世界中の社会現象を良く観察するならば、その様態(宗教や哲学、伝統)における全ての道徳は、人間行為の改善もしくは世界の理想達成を意図していますが、それにも拘わらず、事実は反対のように見受けられます。社会の最高から最低に至る各階層の人々は、幼時から成熟年齢までの期間、健康に過ごす生活法や正しい道を学校で教えられてはいますが、私たちは清潔な環境や衛生的な生活を普通に送るルールを、ややもすれば看過しがちです。
私たちの社会に、もし光と普遍的な常識を持ち込めたら、今の社会を再構築して、この世界により大きな幸福感と満足感をもたらすことが出来るでしょうが、現実はそのための何かが欠けていることを証明しています。このことは最善活用と相互福利と利益の教えるところです。
私は、私たちの由緒ある道徳的戒律や衛生観念を、棚上げにしろといっているのではありません。反対にそれらの戒律や教えが有効である限りは、常に尊重し、それに私たちの最善活用と相互福利と利益の原理を加えて、常に最高にしておくべきだといっているのです。
このことは私は確信を持って言えます。その理由としては、今日、効用について語られる評論や新思考は、裏付ける確実な事由もしくは事実を有していなければなりません。
いま思想家が「私はカクカクシカジカのことを信じているが故に、あなたたちもそれを信じなければならない」とか、「私は自分の論究を通じてコレコレの結論に達した。故に皆さんも同じ結論に達しなければならない」というようなことを述べたとしても、私たちは決して耳を貸したりはしません。ある人がどんなにあることを確信したところで、そのことを否定または疑うことが出来ない事実と論拠に基づいていなければなりません。ではありますが「如何なる目的であれ、その目的は心と身体を最善活用することにより、最も善く達成が可能である」という原理の価値は、どなたにも否定出来ないことは確かなのです。
再度言いますと、社会の成員が不和と反目を控えることが出来るのは、相互の福利と利益を目的とすることによってのみであり、お互いの福利と利益によって人は平和と繁栄の裡に過ごせるのであるということは誰にも否定することは出来ません。このことは人々がしばしば、効率について科学的に話すようになって来ましたし、誰でも効率を問題にしているその事実が、その普遍性を表しているのではないでしょうか。
このことに加えて、ギブ・アンド・テイクの原理は、益々全人類の生存にとって決定的な要因になりつつあります。私たちが国際連盟(注5)を作り上げ、世界の列強が海軍と軍事力の軍縮会議(注6)を開催したという事実は、相互の福利と利益のこの原理が認められた現れでしょう。この様に認められたのは、効率と福利と利益に関する必然性から自ずとなされたものです。柔道の教育力であるこの原理が、各国において押し進められなければなりません。
注5 国際連盟:米ウィルソン大統領の提唱で1920年設立(但し米国は、議会の反対で参加できなかった)。原加盟国数42ヵ国、原常任理事国
英・日・仏・伊の4ヵ国。1933年日本は脱退。
注6 ロンドン海軍軍縮会議を指すと見られる。参加国は米・英・日・仏・伊。1930年1月―4月開催。
玉置 宣宏訳(元全日本柔道連盟教育、普及委員会特別委員)
鈴木 茂雄補訳(元高等学校英語科教諭)