自他共栄とは
社会を成し、団体生活を営んでいる以上、その団体・社会を組織している各成員が、その他の成員と相互に融和協調して、共に生き栄えることほど大切なるはあるまい。各成員がことごとく相互に融和協調しておれば、おのれのはたらきがおのれ自身の益となるのみならず、他をもまた同時に利し、共々幸福を得るは明らかであり、他の活動がその人自身のためばかりでなく、おのれを始めその他の一般の繁栄を増すはもちろんのことである。
かような次第で、その融和協調の大原則は、つまり自他共栄ということに帰する。
ただただ他のためにつくせといっても、その尽さねばならぬ理由をいずこに求めるのであるか。また自己の便のみをはかろうとすれば、たちまち他と衝突するは必然のことで、かえってそのために大なる不便をまねくにきまっている。かく、自分をいたずらに捨てることも人情にそむき、また理由もなく、おのれの我儘勝手ばかりを主張すれば、他の反対によってそれが妨げられるばかりでなく、ついには自己の破滅に陥ることになる。
こう考えてくると、どうしても人が人として社会生活を全うし、存続発展していくには、自他共栄の主義以外にはあるべきでない。
早い話が、ここに三人旅する場合に、一人は山といい、一人は海を好み、一人は休息していたいといい張ったら、三人がわかれわかれにならなければならぬ。共に連れだって旅する益を始めから望んだものとすれば、互いに譲りあって、比較的皆が満足し得る一致点を択んで行くよりほかしかたがない。およそ人の世、細大多少すべての関係はこの通りである。(略)他を認めず自らの言分ばかりで争うならば、自他共倒れとなって、社会全体の不利・害禍これより大なるはない。(略)
国民の実際生活を見ると、ずいぶん精力を徒費しているように思われる。またたとい有効に活用していると見られるものでも、さらに、よりよく、最善に到らしむるべき余地が無いとは決していえない。つまらぬ抗争をやめて、自他共栄の原則により、あらゆる精力を最善に活用するようになれば、その結果、国家の実力は現在よりも数層倍にのぼるであろう。しかして、そのために文化も著しく進み、富強も加わることになる。また、自他共栄を主義とすれば、国際の関係もさらに円満になり、人類全体の福祉も増進することと確信する。
かようなわけで、一切の教訓・主張を包含して、動すべからざる真理に本づいている精力善用・自他共栄の旗を掲げ、天下すべての人々と共に邁進していこうとするのが我らの主張である。 *1
*1 嘉納治五郎「なにゆえに精力最善活用・自他共栄の主張を必要とするか」『作興』第4巻第12号(大正14年)
「自他共栄」英語訳 Jita-Kyoei