山下義韶 Yoshitsugu YAMASHITA(1865〜1935)
生年 | 1865年2月16日 |
入門 | 1884年8月14日 |
初段 | 1884.11 |
二段 | 1885.6 |
三段 | 1885.9 |
四段 | 1886.5 |
五段 | 1893年1月15日 |
六段 | 1898.1 |
七段 | 1904年10月23日 |
八段 | 1920年3月17日 |
九段 | 1930年4月1日 |
十段 | 1935年10月24日 |
没年 | 1935年11月26日 |
1865(慶応元)年、相模国足柄郡小田原生まれ。19歳で講道館に入門し、年に1万本を超す猛稽古を積み実力を付けた。嘉納師範からの信頼は厚く、入門から2年で講道館幹事に抜擢され、倍増していた入門者の取立てを一手に取り扱う大役を任されるまでになった。そして横山作次郎・西郷四郎・富田常次郎らと共に世間から「講道館四天王」と並び評される存在となる。
山下は、警視庁柔道世話係・慶応義塾柔道教師を勤める傍ら、1903(明治36)年、海外への柔道普及の志を持ちアメリカへと渡る。アメリカでは、ハーバード大学・海軍兵学校、セオドア・ルーズベルト大統領らに柔道を指導した。ルーズベルトは山下が教えた2年間、毎日食前に2時間の稽古を欠かさず、ホワイトハウスの中に柔道場を作らせるほど柔道に夢中になったという。
1907(明治40)年帰国し、その後も講道館指南役・高等師範学校・宮内省警察部・早稲田大学・国士舘大学などの柔道教師をも歴任し、後進の指導に当り、1935(昭和10)年71歳で死去した。
嘉納師範は、講道館柔道の普及に尽くした山下を特に講道館葬をもって送り、史上初の講道館柔道十段位を追贈した。以下は、葬儀の際に嘉納師範が読み上げた山下への「永訣の辞」である。
君は予の門下にあること五十余年、其の間終始一貫講道館の事業を助け、以て柔道の発展に貢献したり。(略)君の如き予が特に信頼せる講道館最高段の門下を失ひたるは、予の最も遺憾とする所なり。茲に於て予は君に贈るに左の雄頌を以てせんとす。
参考:「講道館柔道十段物語 講道館最初の十段 山下義韶」本橋端奈子
講道館柔道十段物語「第1回講道館最初の十段 山下義韶」全文はこちらからご覧ください。
(初出:講道館機関誌「柔道」2009年4月号)