湯浅竹次郎 六段 Takejiro YUASA(1871〜1904)
生年 | 1871.7 |
入門 | 1883.9 |
初段 | 1886.9 |
二段 | |
三段 | 1891.6 |
四段 | 1899.1 |
五段 | 1904.8 |
六段 | 1905.12 |
没年 | 1904.5 |
1871(明治4)年7月東京牛込区に生まれる。母が嘉納邸にあったので早くから嘉納師範の薫陶を受けて育ち、師範が講道館を創設するや1883(明治16)年9月正式入門し文武の修業に入る。海軍軍人を志し1889(明治22)年海軍兵学校に入学、艦隊勤務につく。日露戦争において、旅順港口に船を沈めてロシア艦隊の行動を港内に封鎖する作戦をとったとき、巌島砲術長であった湯浅大尉は、広瀬中佐らのあとを受けた第3回閉塞隊に参加、5月3日相模丸を指揮して港口に突進、砲銃撃を受けて壮烈な戦死を遂げた。平素ならびに開戦以来の行為は軍人の亀鑑であるとされ、少佐に昇進し軍神と仰がれた。
嘉納師範は、1904(明治37)年8月五段とし、翌年末、戦死の確認を待って12月2日付をもって六段を追贈し、その功績を讃えた。